毎週30kmのランニングをしながら考えていること

毎週30kmのランニングをしながら考えていること 努力

毎週30kmのランニングを欠かさず続けている。

当ブログの中でもランニングを交えて記事を書いたことがあった。

毎週30kmといっても、週3回に分けて1日10kmほどのランニングになっている。

ここ最近は1km平均5分なので、50分そこそこの時間を走っていることになる。

この50分間にいつもどんなことを考えながら走っているのかを振り返ってみる。

ランニング中に何を考えているのか

ブログを書いていない日も、毎日ブログのことを考える習慣はついてきた。

ランニング中もこのブログのことを考えたりしている。

平日、休日問わず陽が沈んでから走りに行くことが多く、幾度となく走っているコースでも知っているのは夜の景色で、昼間はどんな景色になっているのかあまり記憶にない。

今日は、当たり前のように街路を照らしている街灯について考えていた。

当たり前のようにそこにあることが安心と信頼に繋がる

何も感じさせない、当たり前のように存在していると思っていること、モノについて今一度考えてみた。

たとえば、今回はボクのランニングコースにもなっている歩道を照らしている街頭について。

街灯は、暗い夜道を照らしていて当たり前。と思っているが、この”当り前さ”というのって、そのまま安心であったり、信頼に繋がってるんだと思った。

当たり前のように、日常生活の中に存在しているもの一つ一つ、今回の街灯であれ、ボクたちの日常においてその存在がぶれることなく、また目立つこともなく、淡々と役割を全うすることに存在の意義である。

淡々と役割を全うするその存在は習慣に似ている

そんな、毎日ただ暗い夜道を雨の日も風の日も照らし続けている街頭は、どこかボクらが身につけた習慣に似ている。

完全に習慣化した場合、考える前に体が反応するものだ。

それは、オートマティックであり機械的であり、無意識に近いレベルの反応だ。

街灯は、暗くなると点灯するようプログラムされている。時間がプログラムされているのではなく、明るさのセンサーが反応してるのだ。

日中でも、陽が陰り暗い日には点灯する。暗い道を照らす役割は時間という決められた枠で反応するのではなく、明るさという、よりそのモノ自身の存在目的を果たせるよう設計されている。

『習慣内容を修正、改善、向上させていくこと』人も目的を果たすための行動最適化が必要だ

目的を達成するために習慣化して活動している人にとっては、身につけた習慣内容を調整していくことも必要だろう。

それが、ボクたちの目的達成に向けたものであるなら、より目的達成の道筋が見えやすい航路に舵を切る決断も求められてくる。

それは『陽が落ちて暗くなる時間 = 街灯が点く時間』ではなく、『暗くなったとき = 街灯が点くとき』のように。

『習慣の強化』同じ負荷や精神状態での繰り返しを壊そう

ボクの言う習慣はルーティーンではない。

習慣は、あなたやボクも含め自分自身をより磨き上げてくれる機能として考えている。

だから、続けることと同じくらい、変化を取り入れていくことも大事でなのだ。

変化を取り入れるというと大げさに聞こえるかもしれないが、やることは、いつもやっていること、むきあっていることを少しだけ”ずらす”だけでいい。

ランニングが習慣なのであれば、いつもとコースを変えて身体になじんだコースから敢えて外れてみる。

読書であれば、いつも読んでいるジャンルではない他ジャンルに挑戦してみるなど、すぐにできる”ずらし”を少しずつ取り入れてみよう。

”ずらす”ことで習慣を強化し、一段上に昇る

この少し”ずらす”ということを1年間やるのとやらないのを想像してみてもらいたい。

状況に対して臨機応変に対応できる身体になるだろう。

異なるジャンルとの相関性がみえたことで、新しい発想が生まれるだろう。

同じことをただこなしていくだけでは、脳も身体も退屈になる。

習慣に”ずらし”という栄養剤を与えて、今よりワンステップ上に行こう。

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