大好きな曲をリピートし続けることで気づくこと
音楽が好きで、好きな曲が見つかると一週間ずっと同じ曲だけを聴いていられるボクですら、二週、三週と過ぎればいい加減飽きがくる。
イントロのドキドキは薄れ、サビの高揚感は環境音のようになり、当時確かに感じた感情は夢だったかのように、気に障ることのない無味簡素化した音楽へと化していく。
明白な事は、音楽が変わってしまったのではないということ。そして、音楽を聴いているボク自身が、繰り返し音楽を聴く中でそのもの自体を消化しきってしまい、もしくは麻痺してしまい、その音楽から得られるものは、もう何一つないという気持ちになる。
この感覚は、普段から音楽を聴いている人であれば、同じ音楽を繰り返し聴く頻度の差こそあれ、一度や二度は体験したことがあるだろう。
そしてその感覚は音楽だけでなく「心を打つ言葉」など、あなたの周りやあなた自身に関わること全てで起こりうる事を知る。
『飽き』という暗雲の恐怖。あなたが本当に求めているものは、そこを突き抜けた先で知れる。
どんなに素晴らしい曲も、心の底から感銘を受けた言葉でさえも、一定周期以上の頻度で繰り返し耳にすれば、思考は停止するし、感動は希薄し、やがてなくなっていく。
同じ言葉を心のなかで呟く、お気に入りの音楽だけひたすら聴くことを繰り返す中で意思は喪失をむかえる。
受動的な体験であれ自発的な体験であれ、もう欲しくない状態になる。
そうして初めて「感動する」とは何か「心が揺さぶられる」とはどういうことかを考え知るきっかけができる。
繰り返しの中で「飽き」を向かえ、それでもなお、再びその「言葉」や「音楽」を求めるのなら、それは本当にあなたが求めているものであると断言できるし、本質的であり深い部分で求めていたものであると言える。
ボクは、そうした「音楽」や「言葉」について非常に興味がある。
特に、ボクは音楽にその力を強く感じる。
メロディなぜ言葉を使わずにボクらの喜怒哀楽を意図も簡単に操れるのだろう。
長い時間の中で、人間のDNAにインプットされたのだろうか。
人はいつでも成長したいと願う。
そうした「音楽」や「言葉」には、人が成長していくために必要な成分が含まれている。
それを本能的に感じるからこそ、再び「飽き」て、再び「求めて」を交互に向かえながら新たな成長の糧とし、いずれあなたの「一生涯寄りそう音楽」となり「一生涯寄りそう言葉」となり、パワーを与え続けてくれる存在になるのだ。
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